様々なストーリーや演出で私たちを楽しませてくれる東京ディズニーリゾート。
その中には実際の歴史を元にしたものも数多く存在します。
特に20世紀初頭のアメリカを舞台にしたアメリカンウォーターフロントでは、随所で史実に基づくプロップスを見ることができます。
今回は中でもニューヨークエリアとケープコッドをつなぐ大きな橋:ハドソン・リバー・ブリッジの両端にあるプレートについてご紹介していきます。
プレートが示す歴史は、アメリカ独立戦争。
独立戦争はアメリカ人にとって絶対に忘れることのない重要な出来事であり、ルーツでもあります。
賑やかで明るいパークの一角に刻まれた物語とは?
ぜひ最後までお付き合いくださいませ。
アメリカ独立戦争について
石碑の解読に入る前に、アメリカ独立戦争について簡単におさらいしておきましょう。
アメリカ独立戦争は1775年4月19日から1783年9月3日に起こったイギリス本土と北アメリカ東部沿岸のイギリス領だった13植民地による戦争です。
イギリスは大航海時代の幕開けと共にアメリカ大陸に押し寄せ、先住民たちが住んでいた土地を植民地として支配しました。
次第に資金繰りに困ったイギリスは植民地に対して砂糖法、印紙法、タウンゼンド諸法などの重税を次々と課していきました。
極め付けは1773年に定められた茶法です。
イギリスが東インド会社にアメリカへ茶の専売権を与えた法律で、茶法がきっかけになりボストン茶会事件が起きました。
植民地で数々の暴動が起きる中でも、植民地側はあくまでも戦争ではなく和解での解決を望みますが、イギリスは応じませんでした。
そして1775年4月19日。
マサチューセッツ州のレキシントンとコンコードに武器庫があるという情報を手に入れたイギリス兵たちが接収を試みます。
しかし待ち伏せていた民兵たちと鉢合わせ。
互いに武器を捨てずいがみ合う中、どこからか一発の銃声が響き渡りました。
アメリカ独立戦争のはじまりです。
武力では圧倒的に劣っていた植民地側でしたが、1778年のサラトガの戦いでの勝利をきっかけにフランスが参戦。
さらにはスペイン、オランダなども加わり勢力を拡大していきました。
植民地の住民は元々イギリス人だったことや13の植民地全てで勝利する必要があったことなども相まり、イギリスは四面楚歌になってしまいます。
そして戦争開始から8年経った1783年、パリ条約を以って正式にアメリカの独立が認められました。
ハドソン・リバー・ブリッジの石碑に刻まれた内容とは
それではここから本題です。
東京ディズニーシーの左側に広がるテーマポート:アメリカンウォーターフロント。
20世紀初頭のアメリカを舞台にしています。
その中から今回ご紹介するのは、アメリカンウォーターフロントを横断するハドソン川に架かる橋:ハドソン・リバー・ブリッジのプレートについてです。
ハドソン・リバー・ブリッジは賑やかなニューヨークエリアとのどかな田舎町のケープコッドを結ぶ橋です。
同じテーマポート内でも橋の手前と奥では全く異なる雰囲気を味わうことができるのが特徴です。
ちなみにケープコッドはアメリカ北西部のマサチューセッツ州に実在します。
実際には400km以上離れているニューヨークとケープコッドを橋一つで行き来できるのは東京ディズニーシーならではですね。
ニューヨークエリア側
プレートは橋の両端にあります。
まずはニューヨークエリア側のプレートから読んでいきます。
IT WAS ON THIS SPOT
THAT A MYSTERIOUS SHOT WAS HEARD
THUS TRIGGERING THE
GREAT AMERICAN WATERFRONT
STAMPEDE OF 1774
1774年、この場所で謎の銃声が聞こえ
アメリカンウォーターフロントに
大波乱を巻き起こすきっかけになった
アメリカ独立戦争の始まりを彷彿させる「謎の銃声」が登場しました。
どこからか聞こえた一発の銃声が戦争の引き金を引いたというのは有名な話。
こちらに記されているのはアメリカ独立戦争の始まりについてなのかと思いきや、実際に戦争が始まったのは1775年の4月です。
となると、こちらのプレートはオマージュなのでしょうか。
ケープコッド側
続いてケープコッド側にあるプレートも読んでいきましょう。
ON THIS DATE IN
1774
THE BRAVE MEN
OF CAPE CODDE VILLAGE
FIRED THE SHOT
HEARD DOWN THE ROAD.
1774年、ケープコッドの勇敢な男たちと共に
一発の銃声が道の向こうまで響き渡った
文章を全てつなげて訳すとケープコッドの男が銃声を放ったという意味になるのですが、①アメリカ独立戦争の最初の一発はアメリカ側とイギリス側どちらが撃ったかわからないこと、②最後の2行でひとつの文章になることからこのような意味であると考察しました。
こちらのプレートはケープコッドの勇敢な男性たちを讃えているようです。
そして舞台はやはり1774年になっています。
アメリカ独立戦争によく似ていますが、あくまでもオマージュのようですね。
最後の2行は戦後にアメリカの思想家:ラルフ・ウォルドー・エマーソンがコンコード賛歌で記した言葉を元にしていると思われます。
- コンコード賛歌:Fired the shot heard round the world
- 橋のプレート:Fired the shot heard down the road
俗に「一発の銃声が世界を変えた」という意味の格言ですが、とてもよく似ていますよね。
比べてみると「Round the world(世界中)」から「Down the road(道の向こう)」へスケールダウンしています。
こんな細かいところに仕掛けが隠されていたとは驚きです。
プレートはあくまでもオマージュでしたが、ハドソン川は独立戦争中にニューイングランドと南部の植民地をつなぐ経路としての役割を持ち、とても重要なポイントであり続けたという史実があります。
そうした歴史を知ると、何気ない風景がより深く味わえる気がしますね。
▷▷ケープコッドと独立戦争についてはこちらでもご紹介しています。
こちらもぜひあわせてご覧くださいませ。
まとめ
ハドソン・リバー・ブリッジの石碑に刻まれた内容についてのご紹介でした。
何気ないプロップスに実際の歴史とのリンクが隠されているのが東京ディズニーリゾートのこだわりのひとつであり、楽しみ方のひとつでもあります。
パークから歴史を知るのも中々面白いです。
東京ディズニーリゾートで見られるテーマパークの域を超えた歴史の物語。
そんなことを念頭に置いてお散歩してみると、今までとはまた一味違った風景に見えるかもしれませんよ。
それでは、行ってらっしゃい!
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